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「アール・ブリュット展」明日が最終日です!

2012年08月11日

6月29日から開催された「アール・ブリュット展~生の芸術~」も、今日までに6,752人の方が来館し、泣いても笑ってもあと一日となりましたびっくり炎
開催期間中、9人のアーティストさんが来浜し、藤岡さんについては、会場内で実演をしてくれました。本当にありがとうございました。
開催前は、「アール・ブリュット」という言葉を、どのようにみなさんに伝えるのか、浜松の人に受け入れられるのか、心配で手探りでのスタートでしたあせる
日を追うごとに、一つひとつの作品からの発する作家さんからメッセージ、素直な訴え、温かい気持ち、集中力など驚くことばかりで、来館されたみなさんは圧倒され感動し、また、作品にくぎ付けになりパワーを感じ、少しずつみなさんの素直な思いが波紋のように広がり、高まりとなり、これまでの経過となりました。
あと残り1日となりました。会社もお盆休みの所が多くなってきました。
明日も午前9時30分から午後5時まで美術館は開館します。
ぜひ、この機会にご来館をお待ちしております!

午後は、家族連れ・カップルなどでにぎわっていました。


<本日のアンケートからの感想:抜粋>
○久しく美術館に来る機会が無かったが、とっても楽しめました。
○素直に作品を表現していて、温かい気持ちになった。
○集中力のすごさから、デザイン力、色彩など驚くばかりでした。
○楽しさが伝わってきました。イキイキとした感じとか、とにかくエネルギーがすごい。
○普段と違う体験ができてよかったです。
○「続ける」ことの意味を考えさせられました。
○家人に連れられて来場したので、事前に展示内容を知らず来ました。予見を持たず来たことが、より感動したのかもしれません。よかったです。
○普段見ない・行かない美術館に足を運べてよかった。娘の宿題に感謝。
○素晴らしい作品で、時間を忘れて見入ってしまいました。
○久しぶりに芸術にふれ、感性が磨かれた気分です。

★ところで、リピーターの最高は?
「アール・ブリュット展」のリピーターの方がいるよとの情報が…。
最高は、なんと10回です!(美術館調べ)
その他に、4回の人など意外とリピーターが多いとか…?
何か心に感じるものがあって、いつも新鮮な感覚で、新しい発見等があるとか…。
ギャラリートークもほぼ毎回参加してくれていました。 (ありがとうございます!)

トピックス ㉑
★いつもありがとうございます!
美術館の駐車場の整理は、平日は1名、土日は原則2名で、シルバー人材センターへ委託しています。
雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、いくら仕事とはいえ、グチの一つも言わずに、来館者への気配りをしながら、黙々と仕事に専念してくれています。(頭が下がります!)
世間で浜松市美術館は、駐車場が狭くて、入り口がわからないで知れわたっていますが、その狭い駐車場にて、事故の無いよう、毎回臨機応変に対応している姿を見ると…。
今日は、展覧会最終日の前日ということで、午後の2時ぐらいには、隣接する第1・第2駐車場が満杯となり、市役所駐車場などへ誘導された方々もいるのでは…?(ご足労をお掛けしてしております!)
「アール・ブリュット展」も残り1日。美術館来館者は、土日祝日は市役所駐車場が無料で使用できますので、お気軽にお越しください。待ってまーす!


第1駐車場(17台)


第2駐車場(20台)

  


Posted by ブリュット at 21:05

ブリュットではなく、ウルットしました!

2012年08月10日

アール・ブリュット展も残り2日となりました。
今日は、今までにいろいろ開催したイベントの最後を飾る「ギャラリートーク」がありました。
今回も約30人の方が参加していただき、本当にうれしく思いますにっこり
トーク後には「今日は参加してよかった。」「説明を聞いて、作家の思いがよく分かった。」などの感想を聞いていると、うれしさと、終わってしまう寂しさで、今日は「ウルット」してしまいましためそめそ汗
今まで、私のギャラリートーク・ワークショップなどに参加し、お付き合いしてくださった、全ての人に感謝しております。本当にありがとうございましたニコニコニコニコニコニコニコニコ


小幡さんの作品は最初、捨てられていたのです。


どれが目・目・鼻・口か分かりますか?


トピックス ⑳
★街中に恐竜ファミリーが出現!
ビオラ田町ビルの南に、恐竜のファミリーが出現(滞在)したのをご存知でしたかびっくりはてな
7月30日(月)~8月9日(木)まで展示され、今日の朝、移動の前に撮影(10日)したものです。
この作品は、鍛鉄工芸家 西田光男さんが制作したもので、先週街中で開催されたイベントに合わせ展示…。これからも、東日本大震災で被災された各地の小学校、幼稚園、保育園などを巡回し、子どもたちの心に…。


★ナント美しい絵画と出会う!
前売券好評販売中!


フランス西部の古都、ナント市の中心部に位置するナント美術館の名品が浜松に集まります。
フランス絵画の頂点といえる黄金時代の19世紀、ロマン主義から印象派、そして、20世紀のモダンアートの出現に至るまでの、その時代の流れを示す代表的な画家たち47人60点の作品を展示いたします。現在、前売券を販売しております。購入はお済でしょうか?
大人1,200(800)円、高校・大学・専門学校生800(600)円、小・中学生500(300)円。
(   )内が前売り価格です。大変お得になっています!
※前売券は8月24日(金)まで販売しています。
※前売券取扱所 浜松市美術館、秋野不矩美術館、市内画廊・画材店等(由美画廊、天象堂画廊、ページワン、彩画堂、画創清水、松屋星輝堂、遠鉄百貨店プレイガイド<新館7階>、ホテルコンコルド、チケットぴあ(Pコード765-270 サークルK・サンクス、セブンイレブンでも購入可)


クロード・モネ 「ヴェネチアのゴンドラ」
  


Posted by ブリュット at 23:00

作家紹介まとめ【21〜30】

2012年08月10日

最後の10人まとめですびっくり
(21)辻 勇二
(22)本岡 秀則
(23)石野 敬祐
(24)伊藤 喜彦
(25)三橋 精樹
(26)国府田 良子
(27)宿間谷 憲江
(28)山西 敏子
(29)勝部 翔太
(30・最終回)魲 万里絵

(21)辻 勇二

辻 勇二 Yuji Tsuji(1977年生まれ 愛知県在住)
彼は自分の視覚記憶と空想を混在させて、「架空の街」を描いている。
俯瞰図に執着するのは、様々な場所を同時に見ることができるからか。「高いビルから街を見下ろすのは大好きで、何時間でも見ています。」と母親は話す。彼は気に入った交差点の正確な記憶からスタートし、次第に自分で空想の街を作り拡張させているようだ。
1枚の制作に2〜3ヶ月はかかる。自宅の自室で、彼はゆっくりと描き始める。何の下描きも無くいきなりペン描きで始まり、間違えた線を消すという事など無い。作品は母親によって大切に保管されている。 
彼は自宅から知的障害者福祉施設に通い下請け作業に従事している。



(22)本岡 秀則


本岡 秀則 Hidenori Motooka(1978年生まれ 兵庫県在住)
コピー用紙や新聞広告の紙に小さな電車がびっしり。まさに「押し寿司」の米粒のようにギュウギュウ詰めに並べて描いてある。
彼は知っている全ての電車を一枚の紙に描き、全てを一望したい、という願望を横溢させている。電車数の増加に伴い、紙はつなぎ足されているが、それでも追いつかず電車の圧縮度も徐々に増している。この絵はもう十数年間も続いており、絵は彼自身でファイルに整理し、毎日眺めている。
両親と共に自宅で暮らしながらホテルの厨房で食器洗いの仕事をしている。
休日にはカメラ持参で駅に行き、電車の正面側写真を撮り貯めている。



(23)石野 敬祐


男の子、女の子(2011年頃制作)

石野 敬祐Keisuke Ishino(1987年生まれ 鹿児島県在住)
石野さんは、高さ20cm~40cm、幅16.5cm~40cm、厚さ5cmという、立体の人形を自宅で制作しています。その形には歪曲がなく、カクカクと角ばった石野特有のフォームで形成され、驚くことにどれものりしろがなく作られています。
モチーフとなるのは、女の子やアニメのキャラクターであることが多い。
彼が立体作品を作り始めたのは、小学3、4年生の頃からです。近年では、それまでは左右対称だった立体作品から、左右非対称の作品を制作し始めたりなど、彼の制作スタイルは年々進化し続けている。
これらの立体作品は、1年に300~400体制作されている。

よく見ると正面はセロテープで貼られたものがものが多々あり、その上から油性のマジックで色付けしているので後ろの背景が透けて見えるのですびっくり



(24)伊藤 喜彦


作品名:鬼の顔(1988~1999年制作)

伊藤 喜彦 Yoshihiko Ito(1934年~2005年 滋賀県)
彼は若い頃から知的障害者福祉施設で暮らし、30年にも渡って多くの個性的な粘土作品を制作した。施設の陶芸室の片隅に自分のテリトリーを作って隠れたり、時には途中で眠ってしまったり、その制作は他を寄せ付けない奔放さであった。
初期の頃から目玉状の大量の突起物の集合体が表現され、それらは大小様々な形状となって完成されていった。後年の作品は彼自身によって鮮やかな釉薬の色付けもなされた。不気味なほどの迫力と、妙な可笑し味のある作品たちは、彼のキャラクターそのもののようでもあった。
彼は71歳で死去したが、多くの逸話と作品が残されている。



(25)三橋 精樹


三橋 精樹 Seiki Mitsuhashi(1943年生まれ 滋賀県在住)
彼の絵は鉛筆1本で描かれている。はじめに鉛筆で細密な線画の描写をし、その後なぜかすべてを鉛色で黒々と塗り込める。一見漆黒の平面のように見えるが、斜めから見ると、はじめの線画が強い筆圧による紙の凹凸となって浮き出て見え、絵の全貌が表れてきて驚く。
彼はこの絵のすべてを記憶を基にして描いている。古くは5歳の頃の記憶から、中学卒業後30数年間、仕事のために自転車で通った様々な場所の風景、テレビ画像など…。
また絵の裏には文章が書かれている。カタカナ表記のメモ文には、画面の先の延長場面のことが詳しく語られている。まさに時空を超えて、彼自身がその絵の中に立っているようである。



(26)国府田 良子


国府田 良子 Ryoko Koda (1949年生まれ 東京都在住)
国府田さんが描いてきた絵の量をみるだけでも「絵を描く」という行為にいかに熱中していたかが分かる。保管されているだけでも、何百枚とある。彼女の絵にはいくつかのパターンがある。その中でも代表的なのが、ひらがなの「お」の点がない文字を繰り返し書き(描き)、国府田特有の不思議な配列のリズムで形成された作品である。
この「お」に類似する文字は、彼女が幼い頃、知的障害のある彼女に家族が名前や数字などが書けるよう教えていたときの名残であるようだ。
彼女は幼い頃より耳が不自由であり、ほとんど音が聞こえなかったようである。聴くこと・話すことが不自由な中で、彼女は自身で感じる世界をその豊かな表現の才のもと(言葉以外の)身体表現や絵画表現で享受したのである。
彼女は、30代初めに入所施設に入り、現在に至る。5~6年前から視力の低下とともに、絵を描くことがなくなってしまった。



(27)宿間谷 憲江


作品名 いちごの刺繍(2010年制作)

宿間谷 憲江 Norie Shukumatani(1967年生まれ 兵庫県在住)
彼女は様々な物にナンバーを付けることに、大変執着している。絵を描く時にも並べて描いた一つ一つのモチーフに、必ず数字のナンバーを描いてゆく。2007年頃から熱中し始めた刺繍作品にも、それぞれのモチーフに番号が付けられて番号順に並んでいる。
彼女にとっては、自分が刺繍した数を確認するためのようだが、その番号と絵の連なりが不思議な世界を生み出している。
また、作品の中にみられるいくつかの文字は、彼女がどこかで見かけた会社の名前や歌の題名などだ。気に入ったフレーズを見つけると彼女は自分の手帳にメモをしておき、それを確かめながら刺繍をしているようだ。
仕上げにフェルトや大好きなレースをフリルのように布の周りに縫い付けている彼女を見ていると、刺繍というよりは、自分の好きなものをひたすらコラージュしているようである。



(28)山西 敏子


作品名 母

山西 敏子 Toshiko Yamanishi(1958年生まれ 東京都在住)
山西さんは、十代の頃より知的障害者入所施設で暮らし、40年近くになる。広告紙やスケッチブック、誰かが描きやめた紙の四隅など空き空間を見つけては描き続け、40年という歳月でその作品数は何千枚にも及ぶが、そのほとんどが劣化し、原型の美しさを留めているのは数十点ほどである。
山西さんの作品には、うねる流星のようなものが色鮮やかに描かれている。その流星のように見えるものは、よく見ると一つ一つに頭、身体、手足とあり、人であることが分かる。彼女に何かと尋ねると「母」であるという。彼女は十代の頃から始まる長い施設での暮らしの中で、母への想いを募らせ、作品へとその想いを転写していった。
近年では加齢とともに大分描く力は衰えてしまったが、その想いは時の経過に左右されることなく、恒常的に今も紙を前にすると母なる流星を描いている。文字を描けない彼女は文字に変わって、自分独自の方法で母へのラブレターを書き続けているようだ。



(29)勝部 翔太


作品名 ツイストタイ (2012年制作)

勝部 翔太 Shota Katsube(1991年生まれ 島根県在住)
彼のこの人形の素材は、雑貨店で売られている「アルタイ」という商品名の、袋などの口を括るための針金である。(おせんべいの袋を閉じるのによく使われている)小さなハサミや爪切りをスピーディーに使い分け、見る見る内に5〜6分で1体を作り上げていく。
人形のサイズは約3㎝。きわめて極小なのにもかかわらず、躍動感みなぎる生き生きとした形である。目を近づけてよく見ると、その迫力にはドキリとするものがある。モチーフのイメージはアニメ−ションの中の戦士達だが、既存のものの模写ではなく一体一体が彼流のデザインになっている。
作り始めると迷いなく、完成形は既に見えているかのように、手が止まることはないのだ。彼の素早い手技はリズミカルで、職人のように動きに無駄が無い。この制作は10歳の頃から始まったようだ。それにしても、何故この小ささなのだろうかと思い、彼に尋ねてみると「作りやすいから。」と単純明快な答えが帰ってきた。確かに彼は手の内サイズの触覚的な作業から、とても心地良い感触を得ているようだ。



(30・最終回)魲 万里絵

魲 万里絵 Marie Suzuki(1979年生まれ 長野県在住)
乱立する乳房や性器、子供だとも大人だともいいようのない人の形。無数のはさみ……それまで抑制してきた、彼女の頭の中でうごめいてきた、形象たちを彼女は表現しはじめたのだった。
2007年のことである。
絵に描かれる性器やはさみなどは、彼女の青少年期の記憶が大きく影響し現れてくるようである。子宮から生まれる生命への訝(いぶか)しさ、女性器や男性器に対する嫌悪感、その反面、とても気になって仕方のないものだと言う。彼女曰(いわ)く「描くと落ち着く。」のだそうで、今や彼女の生活の中で必要不可決な時間となっている。
このような絵を描き始める前までは、人や動物などチラシやポスターに見られるようなイラスト風の絵を描いてきた。


  


Posted by ブリュット at 21:03